尊重しながら丁寧に生きる
生きづらさを手放すCARE屋 髙野彩 です。
看護師の大切な仕事の一つにケアがあります。
ケアと聴いて、皆さんはどう思われますか?
私はケアについて考えることが当たり前になっていますが、一般的にはどうなのかしら~とふと思いました。
実は、ケアをするということは、看護や介護・育児・保育・教育などの限定された場でのことだけではなく、日常の場でもケアについて意識をしていると、自分もとても癒されることなので少しご紹介したいと思います。
*参考文献は、ミルトン・メイヤロフ「ケアの本質 ~生きることの意味~」ゆみる出版
ケアをすることは、一方的にケアをするというだけでなく、ケアをすることで自分もケアされていることでもあります。
例えば、教師は学生に教えると共に、学生から学ぶ、つまりケアされているのです。同じように、親は子を育てると共に子から学びケアされているのです。
このことを、お互いにケアしてケアされているということです。
ケアをするということはケアされていることだと謙虚に受け止め、過去の経験にとらわれることなく、全てが解った気にならず、
今、目の前に存在するケアの対象に向き合うことで、成長し合うことができます。
ケアをすることは、相手をよく知ることでもあります。
なぜなら、ケアをすることは自分本位に与えて自分の欲求(与えてあげた)を満たすことではなく、相手の成長を無条件に望み、信頼して関心を寄せていることです。
ケアにはいくつかの重要な要素があります。
まずは、今・現在・ここ、を重要だと考えてケアをすることです。
例えば、未来に期待することを優先すると、今・現在・ここ、のケアの対象を見ていなければ、自分よがりの傲慢な対応でありケアとは言わないのです。子育てでは、気を付けたいことですね。
また、既にお伝えしたようにケアをする側は相手の成長を無条件に望むことが重要な要素なのですが、ケアを受ける側もまた受容できる状態でなければケアを受けていても意味をなさない、とも思います。
具体的には、クライアントが適切なセラピーを受けていても、ある程度クライアント自身が真剣に変化することを望まなければ、変化することは難しいのです。
更に、受容できる状態であること、価値観や思い込みにしがみつき、自分自身に正直であることから逃げようとすれば、ケアをしてもケアを受けても、得られることはないのです。
自律は自分を理解していることを前提としています。自分への理解がないと、結局は自分が自分の障害となって、堂々巡りをするしかなくなります。
では、自分を理解することとは、
①私が実際に私自身をケアするうえでは、必然的に理解が必要である。
理解とは、私が何者であるのか、何のために努力をしているのか、必要としているものは何か、その必要を満足させるには何が必要なのか、ということへの理解です。
人は常に変化しているので、一度理解しても継続しなければ理解しているとは言えません。
②場の中にいる、ということで、より包括的な自分への理解が必要です。
*「場の中にいる」とは、自分が存在する場であり、空間でもあり時間でもある、安心して過ごせる自分の世界のような場のことである。
このことは、私が何に身をゆだねるべきなのか、自分に対して何が欲求されているのか、何が自分を補って完全なものにしてくれる対象なのか、これらを知ることです。
自分への理解を身を持って深めるのですが、生きることと自分と関係のある対象をケアすることをとおして深めることができるといえます。
人生は競争をすることではなく、また、市場でもないのです。
人と比較して競争したり、何らかの貢献をする需要のある商品ではないのです。
人生そのものに感謝することも、生きている中では自然なことです。
ケアをすることを知ることは、自分を知ることにつながり、更に人間を知ることだと考えます。
ご紹介した「ケアの本質」は、哲学的にケアを通して生き方を示し、理解しやすいものにすることを目的として書かれた内容なのと、訳すことが難しい文や言葉もあったと思うような文章もあり、改めて読んでみると度々読み返した文章が結構ありました。
お伝えしたかったことは、ケアを知ることで、より良く生きることを考える機会になればと考えました。
紹介していない章もありますので、ご興味を持たれた方は是非お読みいただければと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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